遡れば200年以上前まで!スカイスポーツの元祖・ハンググライダーの歴史 2015.10.20 ハンググライダー
骨組に布を張っただけのシンプルな翼にぶら下がって滑空するハンググライダーの歴史は、なんと200年以上も前まで遡る(さかのぼる)ことができます。
スカイスポーツの元祖とも言われるハンググライダーの壮大な歴史、歴史を形作った代表的な立役者たちについて解説します。
江戸時代中期の日本人、浮田幸吉、飛び安里が世界初飛行!?
日本で最初に空を飛んだ人は、浮田幸吉のようで 。二宮忠八、徳川好敏大尉、日野熊蔵大尉ではなかったのね。まあ、「飛ぶ」の定義をきちんとしないといけないということなんだろうけど。 pic.twitter.com/8VRoIIkuFq
— SRI (@nsdap_sri) November 26, 2016
ハンググライダーで飛行するという夢は、現在まで様々な偉人たちによって実現されてきました。
もともと初期のハンググライダーは全て骨組に布を張った方式で試みられ、その歴史の始まりは、日本で初めて空を飛んだとされる岡山県の表具師(ひょうぐし)、浮田幸吉(うきた・こうきち)まで遡ることができます。
江戸時代中期である1785年、浮田は竹の骨組に紙と布を張り柿渋を塗って強度を持たせた翼で橋の欄干(らんかん)から飛び上がり、風に乗って数メートル滑空した、あるいはすぐに落下したという伝説が残されています。
その2年後である1787年には、琉球王国の花火師の「飛び安里(とびあさと)」と称される人物が可動の翼を鳥のように羽ばたかせて飛ぶ鳥型飛行機を作って飛行し、時の琉球王・尚王(しょうおう)から恩賞を受けたという伝承もあり、近年になって脚光を浴びています。
19世紀末、ドイツのリリエンタール兄弟が滑空型グライダーの飛行に成功
動力なしのグライダー模型機は世界的にも古くから研究されていたようで、イギリスの工学者で「航空学の父」とも言われるジョージ・ケイリーが1804年、主翼の他に水平、垂直の尾翼が付いた模型グライダーを製作して滑空実験を行い、10歳の少年が飛行したとされる話が有名です。
ケイリーが考案・実験した手法を基に、実用的なグライダーの基礎理論を確立、有人飛行を実現させたのが、ドイツのオットーとグスタフのリリエンタール兄弟。
彼らはそれまでの鳥型グライダーをやめ、現在のような滑空する形のハンググライダーの原型を作成することに成功し、「グライダーの父」と言われています。1891年の飛行実験開始時には約25メートル、1893年には約250メートルの飛行距離を達成したことが広く知られています。
リリエンタール兄弟のグライダー実験は2000回以上も行われ、彼らの功績やデータを素地に、アメリカのライト兄弟が1903年、世界初の有人での動力飛行機のフライトを果たすこととなったのです。
アメリカのフランシス・ロガロが宇宙船回収用として開発
スミソニアン博物館の、航空の別館といえばハングの祖先とも言えるロガロウイングが置いてあるんだよな。
コンコルドとかB-29とかもあるけどラ・ムエッティのハングが置いてあったのは驚き— ♨️GNSU🐟🛥 (@sga_HGT) March 3, 2016
これまで述べてきたようにリリエンタール兄弟らが開発したグライダーが既に一種のハンググライダーであり、さらにいまのハンググライダーへと進化させたのは、アメリカ航空宇宙局NASAの前身であるNACAのフランシス・ロガロです。
彼が現在の「ロガロウイング」と呼ばれる形状の翼を1949年に発明、一時は宇宙船や切り離したロケットの回収用に使用することが検討されましたが、実用化はされず、その後1960年代にスカイスポーツとして応用されることに。
1971年にはいまのフレキシブルタイプのロガロウイングを使ったハンググライダーが登場。日本では1976年に第1回ハンググライダー日本選手権が行われて以来、本格的に普及することとなりました。
「大空を自由に飛ぶ」人類共通の夢をハンググライダーで叶えよう
いまのハンググライダーを形作った無数の偉人たちの心を捉えて離さなかったのは、「大空を自由に飛んでみたい」という人類共通の夢です。
いまも我々を魅了するその願望をあなたもハンググライダーで実現してみませんか?
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※掲載されている情報は公開日のもので、最新の情報とは限りません。
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